「言葉の出処」を問い直す。溢れる情報の海で、店主が貫くべき「真実」への渇望。
──2010年8月10日の記録を、今の店主の視点で編み直した追記録。
更新が滞るほどの怒涛の日々。その最中、ふとしたきっかけで目にした数多の「セラピスト」や「石屋」の言葉たち。世の中がこれほどまでに癒やしを求めている事実に驚くと同時に、店主の心には言いようのない違和感と、静かなショックが広がっていました。
綴られている言葉の多くが、どこかのテキストやネットに溢れる情報をなぞっただけの、血の通わないものに見えたからです。借り物の言葉を自分の光として発信し、それを信じる人々がいる。その光景を目の当たりにし、情報の「質」と「真実味」の危うさを痛感せずにはいられませんでした。
■ 自分の言葉で、真実を紡ぐということ
石を扱う者として、あるいは人の心に寄り添う者として、最も大切なのは知識の量ではなく、その言葉が「己の魂から出たものか」という一点に尽きます。本を読めば手に入る情報を並べるだけなら、店主がここに立ち続ける意味はありません。実体験に基づき、石と対話し、血を吐くような思いで掴み取った確信だけを言葉に乗せる。それが、プロとしての最低限の誠実さだと考えています。
もちろん、当時の店主も自分を「完成された存在」だとは思っていませんでした。正解のない世界で、正しい情報を発信しきれない己の未熟さに、歯がゆい思いを抱えていたのも事実です。しかし、だからこそ「コツコツと、日々できることを積み重ねる」という、愚直なまでの歩みだけは止めてはならないと、決意を新たにしていました。
■ 修行の果てに見える光
安易な癒やしが溢れる時代だからこそ、店主は「本物」でありたいと願います。誰かの言葉を借りるのではなく、自分の指先が触れた石の冷たさ、クライアント様の涙の温度、それらすべてを糧にして、唯一無二の表現を磨き続けていく。その覚悟が、1,400という膨大な記録を編み直す今の店主の「芯」にも繋がっています。
大分の夜は更けていきますが、明日の鑑定会でも、借り物ではない「今の店主の言葉」で、目の前の方と向き合えることを楽しみにしています。一歩ずつ、しかし確実に、真実へと近づくために。
【結びの余韻】
日々のささやかな気づきが、誰かの心の灯火になりますように。
この歩みを静かに見守り、背中を押してくださる皆様の存在が、何よりの励みです。
もし、今日の言葉が心に小さく響いたなら。
こちらから、一筋の応援を届けていただければ幸いです。
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