日常を繋ぎ、未来を灯す。あの日、九州で感じた静かなる使命。
──2011年3月17日の記録を、今の店主の視点で編み直した追記録。
東日本大震災の発生から数日。豊田での鑑定会を終え、大分の地へと戻った店主を待っていたのは、遠く離れた九州でも物が消え、人々の間に不安が波及しているという現実でした。テレビから流れる凄まじい光景と、身近なスーパーの空っぽの棚。日本中がかつてない混乱と悲しみの渦中にあった、あの日々の記憶です。
当時の記録を紐解くと、そこには「自分に何ができるのか」を必死に自問自答し、読者の皆様へ語りかける店主の姿がありました。若さゆえの直球すぎる表現に、今は少し気恥ずかしさを覚えますが、その根底にあったのは「共倒れになってはならない。私たちは、私たちの持ち場で強くあらねばならない」という、祈りにも似た切実な願いでした。
■ 「足元を固める」という名の支援
震災のような大きな試練を前にしたとき、我々はしばしば「日常を謳歌すること」に罪悪感を抱いてしまいます。けれど、あの時店主が強く感じたのは、経済の連鎖を止めないこと、そして日々与えられた役割を全うすることの重要性でした。誰かが力強く生き、経済を回し、子供たちを育て、笑顔を絶やさないこと。それがいつか、被災地の復興を支える大きな力になると信じたのです。
松山千春氏の「知恵がある奴は知恵を出そう。力がある奴は力を出そう。金がある奴は金を出そう。何にも出せない奴は元気を出せ」という言葉。この一節は、今の店主の胸にも深く響きます。特別な何かでなくともいい。今の自分にできることを、一つずつ、誠実に遂行すること。その積み重ねこそが、未来を拓く礎となります。
■ 幸せ請負人として、再び歩き出す
「人々に癒やしと幸せを届ける」
それが店主の選んだ道であり、与えられた使命です。自粛や沈黙という優しさもありますが、店主はあの日、あえて通常通りの発信を再開することを決意しました。不安に押しつぶされそうな時こそ、石の輝きや、心に灯る言葉が必要だと信じたからです。
不測の事態においても、落ち着いて、譲り合い、日々を丁寧に生きる。そんな日本人の美徳を、店主自身も改めて肝に銘じた時間でした。あの日から年月を重ねた今、店主はより深い感謝とともに掌(てのひら)を動かしています。皆様の日常が、一歩ずつ、より平らかなものとなりますように。これからも変わらぬ想いを込めて、石を紡ぎ続けていきます。
【結びの余韻】
日々のささやかな気づきが、誰かの心の灯火になりますように。
この歩みを静かに見守り、背中を押してくださる皆様の存在が、何よりの励みです。
もし、今日の言葉が心に小さく響いたなら。
こちらから、一筋の応援を届けていただければ幸いです。
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