神格化の向こう側に在る、生身の職人。偶像を排し、誠実に石と向き合う理由。
──2011年6月14日の記録を、今の店主の視点で編み直した追記録。
小倉での一週間におよぶ鑑定会も、本日が最終日。あっという間に過ぎ去った日々を振り返りながら、店主は多くのクライアント様との交流の中で、ある「微かな違和感」を感じていました。それは、店主が紡ぎ出す石の精度や、対面した際に見せる洞察の鋭さから、店主をどこか「人ならざる存在」や「神格化された偶像」のように捉える風潮が、一部に生まれ始めているということでした。
人は、目に見えない現象や理解を超えた技術に出会ったとき、そこに理想の姿を投影し、イメージを先行させてしまいがちです。神の姿が光や自然という本質を離れ、人の形として描かれてきた歴史と同じように。しかし、店主が自戒を込めて常に立ち返るのは、自分はあくまで一人の「人間」であり、泥臭く研鑽を積んできた「職人」であるという事実です。
■ 「普通」であることの誇りと、隠された素顔
店主を神格化する声に対し、店主は笑って首を振ります。言葉を丁寧にし、プロフェッショナルとしての佇まいを維持してはいますが、その内側にあるのは、どこにでもいる一人の男としての素顔です。時には毒を吐き、時には冗談に興じる。その飾らない「素」の部分こそが、店主という人間の体温であり、一連の石に生命感を宿すための源泉でもあります。
「口は悪いが腕は確か」。自嘲気味にそう語る言葉の裏には、偶像として崇められることへの警戒心が潜んでいます。神格化されたフィルターを通して石を見るのではなく、生身の人間が、同じように生を営むクライアント様のために、魂を削って石を選んでいる。その対等な「共鳴」こそが、真の適合を生むのだと店主は確信しています。
■ 偶像を脱ぎ捨て、魂で共鳴する
今後、店主は少しずつ、これまで隠してきた「素」の言葉を解禁していくかもしれません。それは単なる崩しではなく、より深く、より真っ直ぐに皆様と繋がるための試みです。美しく整えられた偶像としての店主ではなく、喜怒哀楽を抱え、それでも一珠の石に命を懸ける「今の店主」の姿を、そのまま受け取っていただきたい。その覚悟が、言葉の端々に滲み始めます。
鑑定会最終日、最後のクライアント様を送り出すまで、店主は一人の人間として、誠実に、そして情熱的に石を紡ぎ続けます。神話の住人ではなく、今この場所で共に呼吸し、共に歩む伴走者として。その信頼関係の上にこそ、守護となる一連が誕生するのです。
【結びの余韻】
日々のささやかな気づきが、誰かの心の灯火になりますように。
この歩みを静かに見守り、背中を押してくださる皆様の存在が、何よりの励みです。
もし、今日の言葉が心に小さく響いたなら。
こちらから、一筋の応援を届けていただければ幸いです。
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