多くを語らず、石に託す。職人の矜持と、生命を守るための「浄化」の真実。
──2011年4月8日の記録を、今の店主の視点で編み直した追記録。
佐賀での鑑定会が続く中、ふとしたきっかけで目にした「石の扱い」に関する情報の危うさに、店主は静かな違和感を抱いていました。メディアで語られる画一的な定説や、石の個性を無視した一律の塩水浄化。それらは、長年石と対話し、気功師のクライアント様たちと共にエネルギーの巡りを観察してきた店主の経験とは、大きくかけ離れたものでした。
本来、人の気の流れには「利き手と逆の手から入り、利き手から放出される」という理があります。石の力を純粋に、そして深く受け取りたいのであれば、エネルギーの入り口である「利き手と逆の手」に纏うのが自然な道理。そして、何より看過できなかったのは、石の性質を無視した浄化法です。太陽に弱い石、水や塩に触れれば劣化する石。一珠ひと珠の命を大切に思うのであれば、決して「一律の方法」など存在し得ないのです。
縁あって手元に届いた石たちの命を守り、共鳴し続けるために。店主は改めて、正しい知識を伝えることの重みを噛み締めていました。
■ 専門を極め、魂を研ぎ澄ます決意
この頃、店主は自分自身の中である「規律」を定めました。
「石屋たるもの、多くを語らず。依頼者に合う石を選び、石を紡ぐ事だけに集中すべし」
かつては、目の前のクライアント様を喜ばせたい一心で、霊視的な要素や占い的な助言に心を砕いた時期もありました。けれど、多角的に手を広げるほど、本来の主戦場である「石を紡ぐ」という行為の精度が分散されてしまうのではないか。そう自問自答を繰り返した末の、原点回帰でした。
石の組み合わせは、生年月日というデータだけで導き出せるほど単純なものではありません。膨大な種類の中から、その方の今に最も響く一珠を選び抜き、絶妙な配置で力を引き出す。それを極めるには、一生という時間さえ短すぎるのかもしれません。だからこそ、店主は「石で勝負する」という道を選んだのです。
■ 「手助け」としての石、切り拓くのは己の意志
店主が多くを語らなくなった理由。それは、言葉を尽くしすぎることで、その方が本来越えるべき試練や、自らの力で歩むべき「努力」の機会を奪いたくないという、逆説的な愛ゆえのものでした。
石は魔法の杖ではなく、あくまで持ち主の背中を支えるツールに過ぎません。石を纏おうとも、纏わずとも、己の人生を切り拓くのはその方自身の意志。店主の仕事は、その孤独な戦いに寄り添い、確かな灯火を灯すための道具を最高純度で紡ぎ出すこと。その一点に、全霊を傾ける。佐賀の夜に誓ったこの覚悟は、歳月を重ねた今、より深く、より静かに店主の内に息づいています。
【結びの余韻】
日々のささやかな気づきが、誰かの心の灯火になりますように。
この歩みを静かに見守り、背中を押してくださる皆様の存在が、何よりの励みです。
もし、今日の言葉が心に小さく響いたなら。
こちらから、一筋の応援を届けていただければ幸いです。
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