母への手紙
あの年の1月4日 石の日、運命に導かれて俺はあなたの子供としてこの世に生を受けました。
それからの人生、あまりにも破天荒な旦那と我が強すぎる一人息子の板挟みに遭い、いつも随分苦労をされたことと思います。
そして、ちょうど俺が思春期に差し掛かる頃、我が社はとても苦しい時期を迎えていましたね。
あなたはそのような中でも決して目を背けることなく、持ち前のバイタリティーと根性でその状況を必死に覆すべく、立ち向かい続けました。
俺が社会人になってしばらくして、あなたから一本の電話が入りました。
「会社を辞めて戻って来られないか?お父さんが限界で会社が回らない。」
思い返せば、あの時の電話はあなたが初めて心の底から息子にお願いをした時だった気がします。
いつも気丈なあなたの声が、明らかに弱くなっていた。
そこから約10年、誰もが音を上げてもおかしくないような地獄の日々を、親子として、そして戦友として共に乗り切りました。
若輩の俺はあの頃、発狂して全てを投げ出し逃げ出してしまいたいと思うことも多々ありましたが、あなたが居たからこそ乗り切れたと思っています。
今となっては、それも笑って話せる良い思い出ですね。
あの頃はお互いに休むと会社が回らなくなる状況で休みも取れなかったけど、人生終盤にはようやく時間にも余裕が出来、人並みに旅行にも行けるようになりましたね。
最後にあなたと2人で行った東北と北陸、特に東北はお互い思いっきり満喫出来ました。
きっと気に入るだろうと思って東北を選びましたが、初めて行ったあなたは「人生であんなに綺麗な紅葉は見たことがない。また行きたい!」と随分感動していましたね。
親父の時は余命宣告から2ヶ月、あっという間で出来ることがホントに少なかった。
しかし、あなたは数年に渡って、親の最後の務め「命消えゆくことを子に教える」ということを、身体を張って示してくれました。
出張中、電話で近況を聞く中で、「メラノーマで眼球を摘出することになった」「胸腺ガンっていう、凄く珍しい癌が出来ているらしい」などなど…
聞いてて「え、なのに何でそんなにバイタリティー溢れたままなの?」とこっちがビックリするほど、ガンと闘いながらも、一人で居るときもアクティブに動いていましたね。
最終的には転移ではなく、同時多発的に6つの癌を抱えていましたが、そんな中でも北海道や箱根、伊勢や出雲など、自分でも悔いの無いように動いていたあなたの気力に、「果たして同じ状況になったとき、俺は同じように動けるだろうか?」と一瞬思ったりもしましたが、同時に凄まじい勇気を貰いました。
俺自身が今後何年、こうして動き続けることが出来るかは分かりませんが、あなたの生き様をしっかりと受け継ぎ、それを超えられるように精進していきたいと思います。
お母さん、俺はあなたの子供で生まれてホントに良かったです。
あの日頑張って産んでくれて、ありがとう。
あの日あなたが産んでくれたからこそ、今がある。
歯を食いしばって育ててくれたからこそ、今微力ながらも全国の皆さんのお役に立てていると思います。
まずは闘病生活、お疲れ様でした。
ゆっくり休んでくださいね。
きっとね、あの世で親父には会いたくないと思うけど笑
根は良い人なんで、会ってあげてください。
そしてあっちでも毎日良い温泉に入って、大好きな日本酒飲んで、思いっきり旅行を楽しんでください。
それではしばし、さようなら。
数十年後に会いましょう。
いつも当サイトをご覧いただき、ありがとうございます。
石屋蓮店主 蓮水雲州です。
私事で大変恐縮ですが、「福の神の開運レシピ」でも時々話題に上がっていた店主母が昨日、2023年9月10日(日)逝去いたしました。
最後は傍で見守っていた家族も気付かないほど静かに息を引き取ったそうです。
店主は福岡・天神鑑定会を開催中ですので最期を看取ることは出来ませんでしたが、昨晩一旦北九州に戻って、顔を合わせてきました。
元々、この時期は母と第三回の二人旅に行く予定にしていましたが、母の体調が思わしくなかったために中止し、「せっかく出来た時間なんだから、仕事入れたら良いじゃない」と母自身に促されて追加をした鑑定会。
奇しくも母が逝った昨日9月10日は、当初予定していた旅行から帰ってくる予定にしていた日でした。
そんな日に「次の旅路」に出て行くことになった母。
「我が人生、親子関係に一片の悔い無し」とまではいかなかったかもしれないけれども、親父の時に出来なくて後悔したことを母には全て出来たので、悔いはありません。
あとは明日の葬儀で、母の次なる旅路へ向けて、気持ちよく送り出したいと思います。
日頃から心配いただいていた方も多くいらっしゃいましたので、ご報告まで。
長文・乱文失礼いたしました。
《追記》
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