静寂なる神域への予感。守るべき人を抱き、一歩先を歩む矜持。
──2010年3月5日の記録を、今の店主の視点で編み直した追記録。
夜の帳が下りる頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。 本日は少し趣向を変えて、皆さまから寄せられた一つの疑問にお答えするところから始めようと思います。
先日綴った、仕事と休暇を兼ねた旅の目的地。「〇〇神宮」という一文に、多くの方から「伊勢神宮ですか?」というお声をいただきました。お伊勢さんには近いうちに必ず足を運ぶことになると予感していますが、今回の目的地は、そこではありません。
時間に余裕があれば二箇所、叶わずとも一箇所の神域を訪ねる予定です。その正体については、旅を終えて戻った際に、清らかな空気のお裾分けと共に改めてご報告させていただきますね。
■ 立ち位置に宿る、無意識の守護
さて、ふと日常に目を向け、「人と歩く時の立ち位置」について考えてみました。
心理学の学びによれば、二人で並ぶ際に右側を歩く人は主導権を握る傾向が強いのだとか。店主自身も、基本的には右側を歩くことが多いように感じます。それは自ずと、自らが物事を切り拓き、進むべき道を示すという性質の表れかもしれません。
しかし、その立ち位置は決して絶対的なものではありません。店主にとって最も大切なのは、主導権を握ることではなく「相手をどう守るか」という一点にあります。
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パートナーや子供、自分より立場の弱い方と歩くとき:車が通る側には必ず店主が立ちます。
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狭い路地や、前方に不穏な気配を感じたとき:迷わず店主が前を歩きます。
状況に応じて柔軟に、かつ確実に。 それは、ある種の防波堤として、守るべき人の盾となるための「九州男児」としての無意識の振る舞いなのでしょう。
■ 誰かのために、その一歩を刻む
皆さまは、大切な誰かと歩むとき、どのような位置取りをされていますか。 右か左か、あるいは前後か。その選択の一つひとつに、きっと言葉にならない想いが込められているはずです。
誰かを守り、誰かに守られながら、私たちは日々の一歩を刻んでいく。 今夜はそんな「隣にいる誰か」への想いを馳せながら、静かに眠りにつきたいと思います。
皆さまの明日が、大切な人と足並みを揃えて歩める、穏やかな一日でありますように。
【結びの余韻】
日々のささやかな気づきが、誰かの心の灯火になりますように。 この歩みを静かに見守り、背中を押してくださる皆さまの存在が、何よりの励みです。
もし、今日の言葉が心に小さく響いたなら。 こちらから、一筋の応援を届けていただければ幸いです。
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