父が残した静かなる背中と、負の連鎖を断つための「掃除」──時が証明する真実を信じ、次代への土壌を耕していく決意。
──2011年11月29日の記録を、今の店主の視点で編み直した追記録。
2011年の晩秋、店主は自らの人生を綴るエッセイの傍らで、一人の男の生き様に想いを馳せていました。それは、かつてアクセサリー業界で一世を風靡しながらも、信じていた組織から理不尽な裏切りと不当なデマを背負わされた、亡き父の姿です。
「乗っ取られる」という疑心暗鬼から始まった、経営陣による給与不払いという卑劣な仕打ち。父が立ち上げた新たな会社に、かつての部下たちの殆どがついてきたという事実こそが、どちらに正義があったかを雄弁に物語っていました。しかし、世の中は時に残酷です。ある取引先で父が浴びせられた「悪いことをして辞めさせられたんだって?」という言葉。他者のデマを鵜呑みにし、目の前の人間の本質を視ようとしない傲慢さに、店主は憤りを隠せませんでした。
■ 言い訳は時間の無駄である
なぜ反論しなかったのか。かつて店主がそう問うた時、父は静かに、けれど揺るぎない口調で答えました。「明白な状況すら自らの眼で判断できない相手に、言い訳を並べるのは時間の無駄だ。俺は俺がやるべきことをやるのみ。デマが間違いであることは、必ず時が証明してくれる」と。
父は結局、その誤解が完全に解けるのを待たずしてこの世を去りました。しかし、店主はその言葉の真意を今、自らの骨身に刻んでいます。破天荒に道を切り拓いた父が、その歩みの陰にどうしても生んでしまったマイナスの遺産。それを綺麗に掃除し、解消していくことこそが、息子である店主に課せられた役割ではないかと感じるのです。
■ 掃除の先にある、次代への土壌
過去の因縁を一つひとつ清算し、負の連鎖を断ち切る。その作業の先にある店主の真の目的。それは、後に続く者たちが、自らの信じる道を自由に歩めるような「清らかな土壌」を提供することです。父が切り拓き、店主が整える。その連続性の中にこそ、石屋蓮という場所の存在意義があるのだと確信しています。
他者の評価に一喜一憂せず、ただ己の誠実さを貫き通す。父が命をかけて教えてくれたその教訓を胸に、店主はこれからも、自らが信じる「正しき道」を静かに、けれど力強く歩んでいきます。
【結びの余韻】
日々のささやかな気づきが、誰かの心の灯火になりますように。
この歩みを静かに見守り、背中を押してくださる皆様の存在が、何よりの励みです。
もし、今日の言葉が心に小さく響いたなら。
こちらから、一筋の応援を届けていただければ幸いです。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。


この記事へのコメントはありません。