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夕暮れ時の静けさを纏う福岡市百道浜のモノトーン風景。かつて店主が自分の手で未来を切り拓こうと、情熱を注いでいた街の記憶を映し出す

石屋蓮物語
~地を這い、天の色を視た日~


第一章

選んだ道、戻る道

この日がなければ、石屋蓮の誕生はなかった。

店主には、自分で選んだ仕事があった。心から面白いと思える仕事があり、そこで経験を積み、自分なりの力を身につけていく未来があった。

家業を継ぐつもりなどなかった。父もまた、息子に家業を継がせようとは考えていなかった。

店主が歩もうとしていた道と父が歩んできた道は、同じ商売の中で交わることを前提としたものではなかった。

店主には店主の人生があり、父には父の人生があった。

少なくとも、このときの店主にとって、将来を考えるということは、自分で選んだ仕事を続け、その先にある未来を自分の手で築いていくことだった。

働くことは、ただ生活の糧を得るためのものではない。自分の頭で考え、周囲と関わり、日々の仕事を一つずつ形にしていく。

自分が関わったものが製品となり、世の中へ出ていく。その過程に、自分が働く意味を見いだしていた。

自分の人生を、自分の足で歩いている。そんな実感を持てる仕事だった。

だからこそ、後にその仕事を手放すことになる未来など、当時の店主は望んでいなかった。

だが、人生には、自分で選んだ道を歩き続けることだけが、正しいとは限らない瞬間がある。自分の望みとは別のところから、判断を迫られる。

それまで積み上げてきたものを手放すのか。

それとも、生じた問題から目を背けず、自分が引き受けるべきものとして向き合うのか。

そのとき、人は何を大切にして生きているのかを問われる。

店主にとって、その問いが現実のものとなったのは、家業を継ぐために準備を重ねていたからではなかった。むしろ、家業とは別の場所で、自分の仕事を築こうとしていたときだった。

一つの会社を、流れとして見る

店主が勤めていたのは、印刷会社だった。配属されたのは、生産管理部。同期は九人いたが、生産管理部に配属されたのは店主一人だった。

生産管理という仕事は、名前だけを聞けば、製造の予定を管理する部署のように思えるかもしれない。しかし、実際に求められるのは、予定表を整えることだけではない。

一つの印刷物が世に出るまでには、いくつもの工程がある。営業が顧客から注文を受け、原稿や仕様を確認する。DTPでデータを制作し、刷版を経て印刷へ進む。その後も、断裁、折り、梱包、発送といった工程が続く。内容によっては外注の手配も必要になる。

それぞれの部署には、それぞれの役割がある。そして、それぞれの役割には、それぞれの事情がある。生産管理部は、その間に立つ仕事だった。

店主は、営業が持ち込んだ原稿を確認し、作業指示書を確かめたうえで、DTPや制作の担当者へ仕事を渡す。単に書類を回すのではなく、内容を説明し、制作側が作業に入れる状態を整える。

制作が進めば、上がってきたデータを確認する。必要に応じて外注を手配し、完成した製品の検品をすることもあった。

一方で、制作側から上がってくる問題を整理し、営業へ伝える役割も担っていた。

「納期が厳しすぎる。」
「この仕様では技術的に難しい。」
「今の進め方では、工程に無理が生じる。」

制作側からすれば、現場の実情を知っているからこそ見える問題がある。しかし、営業には営業の事情がある。顧客との約束があり、希望された納期があり、簡単には動かせない条件がある。

制作側の言い分をそのまま営業へ伝えれば、それで仕事が済むわけではない。ときには、制作側の不満をいったん整理し、何が本当に難しいのかを見極め、営業に説明できる形にしなければならなかった。

その反対もある。営業からの要望をそのまま制作側へ押しつけても、現実の工程が成立しなければ意味がない。

必要なのは、どちらか一方の言い分を通すことではなかった。双方の事情を理解し、何が可能で、何が難しいのかを把握する。そして、難しいのであれば、どこを変えれば実現に近づけるのかを考える。

そのためには、営業の仕事も、制作の仕事も、印刷の仕事も、断裁や折り、梱包、発送の仕事も、それぞれをある程度理解していなければならない。

一つの工程だけを知っていても、全体の判断はできない。自分の担当範囲だけを見ていれば、その範囲では正しい答えを出せたとしても、会社全体としては間違った判断になることもある。

ある工程で無理を通せば、そのしわ寄せは別の工程へ回る。納期を守るために何かを急がせれば、品質や作業負担に影響が出るかもしれない。仕様を変えれば解決する問題もあれば、変更によって別の問題が生じることもある。

一つの問題を解決したつもりでも、その先にある工程まで考えなければ、本当の解決にはならない。

店主が向き合っていたのは、そうした複雑なつながりだった。会社の中を流れる仕事を、点ではなく線として捉える。そして、その線が途切れないように、部署と部署の間をつないでいく。生産管理という仕事には、そうした役割があった。

輪転機が重低音を響かせ、紙とインクの匂いが立ち込める印刷工場の生産管理現場。職人たちと渡り合い、複雑な工程の全体像を緻密にコントロールしていた仕事の舞台

できない理由ではなく、実現するための道を探す

仕事をしていれば、要望どおりには進められない場面に出くわす。技術的に難しい。納期が足りない。今の条件では成立しない。

そうした事情を無視して、何でも引き受ければよいというものではない。無理な約束をすれば、最後に困るのは顧客だけではなく、実際に仕事をする人間たちでもある。

だからといって、「できない」という言葉だけで話を終わらせてしまえば、そこで可能性まで閉ざされてしまう。

では、どうするのか。なぜ難しいのかを理解する。何が障害になっているのかを確かめる。そして、条件を変えればできるのか、別の方法なら成立するのか、どこまでなら現実的に近づけるのかを考える。

完全な形で実現することが難しくても、双方が納得できる形に近づける余地はあるかもしれない。営業が求めるものを百パーセント満たすことができなくても、制作側が無理なく実行でき、顧客にとっても目的を果たせる代替案が見つかることもある。

もちろん、いつも答えが見つかるわけではない。どれだけ考えても、成立しないものはある。条件を変えることができず、諦めなければならないこともあるだろう。

それでも、最初から不可能だと決めつけることと、可能性を探ったうえで難しいと判断することは違う。その違いは、仕事の結果だけでなく、仕事に向き合う姿勢そのものに表れる。

店主が当時から現在と同じ言葉で、この考えを整理していたかどうかは分からない。ただ、生産管理という仕事の構造には、後年、店主が鑑定の場で大切にすることになる考え方と、重なる部分がある。

やらない理由探しをするのではなく、やるための方法を探る。

完全にはできないかもしれない。それでも、なるべく双方が納得できる形へ近づけていく。そのために、双方の事情を知り、現実を見極め、可能な道を探る。

単に前向きであればよいという話ではない。現実から目をそらさず、難しさを認めたうえで、それでも方法を探るのである。

店主が後に「中庸を探る」と表現する考え方にも、こうした仕事の経験がつながっているのかもしれない。

中庸とは、双方の主張を機械的に半分ずつ受け入れることではない。どちらか一方を無条件に優先するのでもなく、双方の事情を理解したうえで、その場にとって成立する着地点を探ること。

ときには、一方が多く譲ることが必要になるかもしれない。ときには、発想を変えることで、双方の希望をより多く満たす方法が見つかるかもしれない。

大切なのは、最初から答えを決めてしまわないことだった。仕事を前に進めるためには、現実を知ることと、可能性を探ることの両方が必要になる。その両方を求められる場所に、店主はいた。

約百二十人の仕事を知る

店主は、営業から発送まで、会社のさまざまな部署と関わった。相手にするのは書類だけではない。仕事を動かすのは人間である。

同じ会社の中にいても、営業と製造では見えている景色が違う。営業は顧客との関係や納期を考え、製造は品質や工程、作業の現実を考える。それぞれが自分の持ち場に責任を持っているからこそ、意見が食い違うこともある。

その間に立つには、相手の言葉だけを聞いていても足りない。なぜ、その人はそう言うのか。何を守ろうとしているのか。何ができれば前へ進めるのか。そうしたことを理解しなければ、双方の間にある問題を解きほぐすことはできない。

店主は、入社した時点で、約百二十人いた社員の顔と名前を把握し、それぞれの仕事の流れも理解していた。誰が何を担当しているのか。どの部署へ仕事を渡せばよいのか。何か問題が起きたとき、どこへ相談すればよいのか。それは、会社の中で仕事を進めていくための土台になった。

同期の中で生産管理部に配属されたのが店主一人だったことも、この仕事の性質を考えれば意味があったのかもしれない。

一つの専門分野を深く掘り下げることとは違う。会社全体を見渡し、それぞれの部署の仕事を理解し、個々の仕事がどうつながっているのかを把握する。そのうえで、その時々の問題に対して、どこから手をつければよいのかを判断する。

広く知ることは、浅く知ることと同じではない。全体を理解するためには、それぞれの工程について、判断に必要な知識を身につけなければならない。そして、自分の知らない領域があれば、知っている人間に確認する必要もある。

すべてを一人で完璧にこなすことが目的なのではない。全体を見渡したうえで、自分が判断できることと、専門の担当者に確認すべきことを見極める。その判断ができなければ、会社全体の流れを管理することはできない。

店主は、そうした仕事を通じて、一つの物事を複数の角度から見る経験を積んでいった。

後年、石屋蓮で人と向き合うときにも、相手の言葉だけで判断せず、その背景にある事情や、本人がまだ整理できていない問題を考えることがある。

もちろん、印刷会社の仕事と鑑定は同じではない。だが、相手の言葉だけを受け取るのではなく、その先にあるものを考える。その姿勢には、通じるものがあるのではないだろうか。

紙の向こうにあるもの

店主が関わった製品は、身近なものから、日常生活を支えるものまで幅広かった。全国展開する菓子メーカーの包装紙やパンフレット。店舗の折り込みチラシ。年賀状。有名メーカーの商品に使われるドレッシングのラベル。銀行で使われる通帳。

さらに、ある地方銀行が、パンチ入力方式からOCR伝票へ切り替える際には、入出金伝票の仕事にも関わった。

印刷物は、完成した姿だけを見れば、紙の上に文字や図柄が並んでいるにすぎない。しかし、その一枚が形になるまでには、原稿を用意する人間がいて、データを制作する人間がいて、印刷機を動かす人間がいる。

加工し、検品し、梱包し、必要な場所へ届ける人間もいる。一つの製品の背後には、多くの仕事がある。そのどこか一つが欠けても、予定どおりに完成させることは難しくなる。

店主が生産管理部で見ていたのは、そうした仕事の連なりだった。自分が担当する部分だけを終わらせればよいのではない。自分の仕事が次の工程へどうつながり、その先でどのような製品になり、どこへ届けられるのか。

全体を理解することで、自分の仕事の意味も見えてくる。仕事の価値は、自分の手元で完結するとは限らない。自分が整えた作業指示が、制作を支える。制作されたデータが印刷工程へ渡り、製品が仕上がり、顧客のもとへ届く。

自分の仕事が、その先にいる誰かの仕事を支えている。そのつながりを理解できることは、店主にとって、仕事の面白さの一つだったのだろう。

自分が関わった仕事が、確かな製品となって世に出ていく。そこには、自分の働きが現実の形になったという手応えがあった。

店主は、その仕事を楽しんでいた。決められた作業をこなすだけではなく、考え、調整し、問題を解きほぐしながら、仕事を前へ進めていく。自分の判断が、会社の中の流れを動かす。

その実感があるからこそ、仕事に向き合うことが面白かった。当時の店主には、そこから先に積み重ねていきたいものがあった。

印刷会社で得たものは、生産管理の知識だけではなかった。

制作そのものを担当していたわけではないが、どのようなソフトを使い、どのような工程を経て、一つの印刷物が形になっていくのか。その仕組みを知る機会があった。

当時は、それが後の自分にどこまで役立つのか、考えていたわけではない。

しかし、後年、自ら制作に取り組むようになった時、その知識が土台となった。制作現場で実際に手を動かしていたわけではないからこそ、足りない技術は独学で身につけていく必要があった。

そうして一つずつ学びながら、石屋蓮のロゴや画像、ホームページに至るまで、自らの手で形にしていくようになった。

振り返れば、印刷会社で過ごした時間は、当時の仕事だけで完結するものではなかった。そこで得た知識は、後に石屋蓮を自分自身の手で築いていくための、確かな土台の一つになっていた。

余白と空間を読む

店主の感覚を形づくっていたのは、仕事の経験だけではなかった。幼い頃から続けていたピアノ。そして、高校時代に取り組んだパフォーマンス書道。一見すれば、印刷会社の生産管理とは関係のない世界に思える。

しかし、ピアノには、音符を正確に弾くだけでは成立しない面がある。音と音のつながり、旋律の流れ、間の取り方。同じ音を並べても、どこに力を込め、どこで余韻を残すかによって、聴く者が受け取るものは変わる。

音が鳴っている時間だけで、音楽ができているわけではない。音が途切れる瞬間にも、次の音へ向かう流れがある。

パフォーマンス書道にも、文字そのものだけでは決まらないものがある。筆を動かす勢い、身体の動き、紙の上に生まれる線。そして、文字と文字の間に残される空間。

何を書くかだけでなく、どこに書き、どこを空けるか。余白は、何もない場所ではない。そこに何を置かないのかという選択によって、書かれたものの存在感が変わる。店主は、そうした表現の中で、余白と空間を操る感覚を培っていった。

その感覚は、印刷物を扱う仕事とも無縁ではなかったはずだ。紙面の中で、何をどのように配置するのか。どこに視線を集め、どこに余裕を持たせるのか。文字や図柄だけではなく、それらを取り巻く空間まで含めて、一つの表現になる。

もちろん、音楽や書道で身につけた感覚が、そのまま生産管理の技術になるわけではない。だが、異なるものの間にある関係を感じ取ること。個々の要素だけでなく、それらが組み合わさったときに生まれる全体を見ること。そうした感覚は、仕事の中でも生きていたのかもしれない。

店主の中には、論理的に工程を組み立てる目と、感覚的に全体のバランスを捉える目があった。どちらか一方だけでは見えないものがある。

数字や条件を整理するだけでは、実際に動く人間の事情を捉えきれない。一方で、感覚だけでは、技術的な制約や工程の現実を越えることはできない。必要なのは、両方を使うことだった。

全体を把握し、細部を確認する。細部を見ながら、全体のバランスを考える。一つの正解を押し通すのではなく、状況に応じて、成立する形を探る。

その仕事を楽しめていたのは、店主が単に印刷という製品を扱っていたからではないのだろう。人と人、工程と工程、条件と希望。異なるものをつなぎ、一つの形へとまとめていく。そこに、自分の力を発揮できる余地があった。

そして、店主はその仕事に、自分の未来を重ねていた。

選んだ道を離れる

店主は、家業を継ぐつもりがなかった。それは、父も同じだった。父は、息子を自分の商売の後継者として育てようとしていたわけではない。

店主自身も、父の跡を継ぐことを目標にしていたわけではなかった。店主には、自分で選んだ仕事があった。その仕事を続け、経験を重ね、自分の力を伸ばしていく。当時の店主にとって、将来を考えるということは、そういうことだった。

ところが、あるとき、母から連絡が入る。

「お父さんの様子がおかしい。会社を回すために、戻ってきてほしい。」と。

それまで別々の場所にあった二つの人生が、突然、つながった。印刷会社で積み重ねてきた仕事と、父が営んできた家業。自分が選んだ道と、自分が生まれ育った場所。

店主は、父の跡を継ぐために仕事をしていたわけではない。家業を継ぐための準備を重ねてきたわけでもない。それでも、父の身に何かが起き、会社を回すことが難しくなっているのなら、そこには対応しなければならない現実があった。

もちろん、その時点ですべての事情が分かっていたわけではない。父の状態がどうなるのか。家業がどれほど厳しい状況にあるのか。自分が戻ることで、どこまで対応できるのか。先のことがすべて見通せたわけではなかったはずだ。

それでも、店主は動いた。まずは、勤め先の上司に相談した。話は上へ伝わり、常務に呼ばれる。

そのとき、会社側がどのような言葉をかけたのか、ここで正確な台詞を再現することはしない。ただ、店主が実家へ戻り、父の状態と家業の状況に対応するための時間を得たことは確かである。

店主は北九州へ戻った。その期間は、およそ一週間だった。父の健康状態に向き合いながら、家業をどうにか回していくための緊急対応を進めた。

そこには、印刷会社で働いていたときとは異なる現実があった。これまで自分が積み重ねてきた仕事を、そのまま続けていくことはできない。家業の問題に対応するためには、自分の時間と力をそちらへ向けなければならない。

一時的に手を貸すだけで済むのか。それとも、もっと大きな決断が必要になるのか。その先が、すべて明確になっていたわけではない。だが、その状況に対応することは、避けられなかった。

店主は一週間ほど対応したのち、福岡へ戻った。そして、退職を申し出た。

好きだった仕事を離れるということは、それまで積み上げてきたものから手を離すということでもある。仕事を通じて身につけた知識。関わってきた人たち。これから経験を重ねていくはずだった時間。それらを、そのまま持ち続けることはできない。

自分の人生を自分で選ぶということは、いつでも好きな道だけを歩けるという意味ではないのだろう。何を選ぶかによって、何を手放すことになるのか。その両方を引き受けなければならないときがある。

店主は、自分で選んだ仕事を手放し、北九州へ戻る道を選んだ。それは、家業を継ぐことを目標にしてきた人間の帰還ではなかった。自分が望んでいた未来とは別の場所で、現実に向き合うことになった人間の帰還だった。

無数の雨粒が冷たく濡らす車の窓ガラス越しの風景。母からの電話を受け、光り輝くキャリアと愛着のある職場を自分の手で潔く手放し、実家の危機へと向かう人生の重大な岐路と切なさを象徴する情景

戻った先にあった現実

家業へ戻れば、それで問題が解決するわけではなかった。待っていたのは、以前と同じように仕事を続けられる環境ではない。バブル崩壊後の厳しい経済状況と、変化していく商売の世界。その中で、家業にもさまざまな課題が積み重なっていた。

印刷会社での仕事は、異なる部署の間に立ち、条件を整理し、仕事が成立する方法を探るものだった。しかし、家業へ戻った店主が向き合うことになったのは、個々の案件を調整するだけで済む問題ばかりではなかった。

会社そのものを、どう維持していくのか。仕事をどうつないでいくのか。厳しい状況の中で、何を変え、何を残すのか。個々の問題を解決するだけでは追いつかない現実があった。

ここで、それまでの経験がすべて役に立ったと言い切ることはできない。生産管理で身につけた知識があっても、初めて向き合う問題はある。全体を見渡す力があっても、すぐに答えが見つかるとは限らない。

むしろ、これまでとは違う世界に入ったからこそ、自分が知らないこと、できないこと、考えなければならないことが、次々と見えてきたのではないだろうか。

それでも、仕事の流れを理解し、問題の所在を探り、現実に成立する方法を考えるという姿勢は、ここでも必要になったはずだ。

できない理由を並べるだけでは、何も前へ進まない。かといって、現実を無視して理想を掲げても、商売は続かない。何が問題なのかを見極め、どこを変えればよいのかを考え、できることから手をつける。その積み重ねによってしか、道は開けない。

ただし、当時の店主が、その後の人生をすでに見通していたわけではない。この帰還の先に、石屋蓮という仕事が形になっていくことも、現在の店主が人と向き合い、石を紡ぎ、言の葉を編むようになることも、この時点ではまだ一つの未来として定まっていたわけではなかった。

そこにあったのは、戻ってきた家業の現実だった。自分が選んだ仕事を離れ、戻ってきた場所で、今度は別の現実と向き合わなければならない。そこから先の道が、どこへ続いているのか。その答えを、店主はまだ知らなかった。

だが、少なくとも一つ、これまでの仕事で身につけてきたものがあった。状況を見極めること。異なる立場の事情を理解すること。できない理由だけで結論を出さず、現実に成立する方法を探ること。そして、一つの問題だけでなく、その先につながる全体を見ようとすること。

それらが、後の石屋蓮を支える考え方へとつながっていくのだとすれば、その始まりは、石を手にするよりも前にあったのかもしれない。

店主は、まだ石屋蓮を生きてはいなかった。しかし、その仕事を通じて、人と人の間に立ち、理想と現実の間に道を探す経験を積んでいた。

選んだ道を離れ、戻る道を歩いた。その帰還は、過去へ戻ることではなかった。そこから先、店主が何を選び、何を手放し、どのように自分の道をつくっていくのか……。

物語は、ここから始まる。